モネの家族と絵に描かれた人々

柔らかな光の中に立つ女性、日傘を手にした母、無邪気に草原を駆ける子どもたち。
クロード・モネの絵には、単なる風景ではなく、彼の「人生そのもの」が描き込まれています。
絵の中の人物たちは、彼の愛した家族――その喜びと喪失、そして時間の流れを象徴する存在でした。

モネの家族構成

クロード・モネの家庭は、血縁・再婚・共同生活が入り混じった大きな家族でした。

■ 両親
父:アドルフ・モネ(1800–1871)
 船具商を営んでおり、堅実で現実的な性格。息子クロードの画家志望には反対していました。
母:ルイーズ=ジュスティーヌ・モネ(1819–1857)
 歌を愛する温かい人柄で、クロードの芸術的感性を支えた存在。モネが17歳のときに亡くなりました
最初の妻:カミーユ・ドンシュー(1847–1879)
子:ジャン・モネ(1867–1914)、ミシェル・モネ(1878–1966)
再婚相手:アリス・オシュデ(1844–1911)
アリスの子どもたち(オシュデ家):ブランシュ、マルト、スュザンヌ、ジェルメーヌ、ジャン=ピエール、ジャック

家族を描いたモネ

クロード・モネ(Claude Monet, 1840–1926)は、二度の結婚と五人の子どもを持つ父親でした。
彼の人生を彩った家族たちは、そのまま絵画のモデルとして数多くの作品に登場します。

最初の妻:カミーユ・ドンシュー

モネの人生初期を支えた最愛の妻であり、多くの名画に登場する女性です。
2人は1860年代に出会い、彼女は恋人・モデル・母親・妻としてモネの創作に深く関わりました。

カミーユ(緑のドレスの女)
カミーユ - 緑のドレスの女(date.1866)
散歩、日傘をさす女
散歩、日傘をさす女(date.1875)

華やかな衣装に身を包んだ姿から、病床に伏す姿まで――モネは彼女の一生を、まるで日記のように描き続けました。
しかし1879年、カミーユはわずか32歳で病により他界。モネにとって最大の喪失となりました。

カミーユ・モネの死床
カミーユ・モネの死床(date.1879)

子どもたち

カミーユとの間に2人の息子がいました。

ジャン・モネ(1867–1913)
モネが《ジャン・モネと愛馬》《庭の母と子》《散歩、日傘をさす女》などで描いた、金髪の少年です。
成長後は父と同じく芸術を愛し、後に義父アリス・オシュデの娘ブランシュと結婚します。

ジャン・モネと愛馬
ジャン・モネと愛馬(date.1872)
庭の母と子
庭の母と子(date.1875)

ミシェル・モネ(1878–1966)
幼少期の姿はあまり絵画には登場しませんが、モネの晩年を支え、最終的にジヴェルニーの屋敷を保存・寄贈した人物です。
ミシェルがなぜあまり描かれなかったのかは、カミーユの重い病にあります。
生まれた1878年、カミーユはすでに子宮がん/結核に苦しんでいました。
そのため、モネは家庭内の混乱と経済的困窮の中にあり、制作よりも看病と生活再建に追われていました。
結果的に、ミシェルの乳児期を描く余裕がほとんどなかったのです。

第二の妻:アリス・オシュデ

1870年代、モネは実業家エルネスト・オシュデの妻アリスと出会います。
彼のパトロンであったオシュデ家は経済的破綻に見舞われ、モネは彼らをかくまう形で共に暮らすようになりました。
その後エルネストの死を経て、モネとアリスは正式に結婚します(1892年)。

-アリスは支え手としての存在-
カミーユを失った悲しみの中で、アリスはモネの家庭をまとめ、8人の子どもを育て上げました。
彼女はモデルとしてはあまり登場しませんが、モネの精神的支柱であり、ジヴェルニー時代の安定をもたらしました。

オシュデ家の子どもたち

アリス・オシュデには6人の子どもがいました。モネと共に暮らすようになり、家族同然に育てられます。
《ヴェトゥイユのモネの庭》ではミシェル・モネとジャン=ピエール・オシェデ(第六子)が描かれています。

ヴェトゥイユのモネの庭
ヴェトゥイユのモネの庭(date.1880)


オシュデ家の子どもたちの中でも特につながりが深い存在が――

ブランシュ・オシュデ(1865–1947)
アリスの娘であり、後にモネの長男ジャンと結婚します。
彼女はモネ唯一の弟子ともいえる存在で、義父の影響を受けた穏やかな筆致の風景画を描きました。
晩年、モネが視力を失いかけていた時期にも、ブランシュは彼の側で支え続けました。

▼ブランシュ・オシュデが描いた作品

港のボート
港のボート
ジヴェルニーのモネの庭
ジヴェルニーのモネの庭

モネ作品に描かれた家族の姿

モネの絵に登場する家族たちは、時代ごとに変化し、彼の心境を反映しています。

最初は「愛する人を描く」ことがテーマでしたが、晩年のモネは「光」や「自然」そのものを愛の対象として描くようになります。
つまり、彼にとって絵画とは――人を描くことから、“人生そのものを描くこと”へと変化していったのです。

家族がもたらした創作の源泉

モネの絵を見ていると、家族の存在が常に「光」とともにあることに気づきます。
愛する妻を描くときも、子どもたちを描くときも、モネは彼らを光の中で包み込むように表現しました。
それは、悲しみも含めて「生きる瞬間の輝き」を捉えようとする、彼の芸術哲学そのものです。

“I want to paint the air in which the bridge, the house, the boat, are found — the beauty of the light in which they exist.”
「私は光の瞬間を描こうとしている。風景はそのための題材にすぎない。」

クロード・モネ

これはモネが友人に語ったとされる内容で、ポール・アーサー・レミー(Paul Hayes Tucker)の著書
『Monet in the '90s: The Series Paintings』(Yale University Press, 1989)などで解説されています。

光の中で生き、光の中で家族を見送ったモネ。
彼の作品に描かれた人々は、今もキャンバスの中で、永遠の午後を生き続けています。